許されているだけです

最近強く言いたい事は

大人の方が子供より弱いってことですかね。



いろんな社会的常識があるけど、

それにどっぷり腰掛けて物を言う人が大嫌いだ。


「タバコは臭いからあっちに行け」っておかしくないですか。

じゃあ香水もなんとかしろよ。

「もういい歳なのに、定職に就かずぶらぶらしてるのってあり得ない」って

お前が決める事か?

基本的に人がやってる事に口を出すという事は

とても難しい事なのだ。本来。

なのに「自分が常識の中に居る事」を

他人にぶつけてくる人が少なからずいるのだ。

その人たちがなぜ、その常識の範囲内の事しかしていないのに

良しとされるのか。

それは「社会的に許されている」だけなのだ。


何かを自分で考え、頑張っている人の方が数万倍エラいと俺は思う。

それが常識上、場合に寄っては法律上間違っていたとしても

それでいいとおもう。


常識という椅子にどかっと腰掛けてエラそうな事言う奴の

その常識の椅子を壊したとき、その人は何が言えるのか。


ある意味かわいそうな大人なのだ。

判断の物差しを、自分で作れなかった人たちである。

学校や会社が用意した物差しを使ってるってことかな。

その物差しは万能で、この社会の常識内の物なら

全部収まるし測れるように出来ている。

何も考えなくていいのだ。


でも実はこの定規、犬も猫も持ってるんだぜ。

子供も生まれながらにして持って生まれてきてたりする。

俺はそっちの定規の方がまだ信頼出来る気がしている。



ま、社会的に全うに生きる事は

可もなく不可もなく

今のテレビから流れるニュースにそって生活も作られ

非常にらくちんでしょう。



選ぶのはその人だからね。

とにかく常識の範囲内のつまらない話しかしないやつとは

話したくないね。